小倉共同墓地(小倉西山70番地)
龕薦堂(がんせんどう)に西心さんの石像が祀ってあります。
その西心さんについての民話をご紹介します。
「西心(さいしん)さん」 宇治民話の会
小倉小学校と道をへだてたところに、小倉の共同墓地があるやろ。墓地へ入る急な坂を上ると、龕薦堂(がんせんどう)があるのや、このお堂の中央に石仏さんがお座りになっていて、横に「方誉西心七月吉日」と記されている。
西心さんというのは、昔々小倉においでになった修行僧でな。貧しい村を救うために自ら人身御供になられたお方や。
西心さんは、ある夏の日に、「石のからと」に入り、上から土をかけてもらい、空気穴の竹を横にすっと出した。「私の経が聞こえなくなったら、死んだと思うてくれ」とお経を唱え続けられた。歳月が経ち、いつのまにかお経の声も聞こえなくなったそうや。
それから何年かして、河内の庄屋に女の子が生まれたのやが、その子の体に小倉生まれという証拠が書かれていたんや。西心さんの生まれ変わりやったのやろうなあ。
家の人が不思議に思うて、奉行所に届けはった。それで小倉村へ侍が調べにきたのや。ところが、村の上役が怖がって、村の者に「西心さんのことは知らんと言え」とふれた。
そのため、村人は何を聞かれても「知らん、知らん」と言い続けた。庄屋に生まれた女の子は、せっかく生まれてきたのに、成仏できずに死んでしもうたそうなんや。西心さんは、長い間、村人から忘れられ、「石のからと」の中でもんもんとされていたのやなあ。
自分が村を救おうと一生懸命やったことを、誰かに知ってほしかったのやろう。
その後、小倉の人が西心さんの石仏を彫り、墓石にしたのや。今では龕薦堂に祀られ、小倉の人が毎朝お参りされているけど、西心さんの事を知る人は少のうなってしもうた。
近くのおじいさんが、お茶をお供えしてはるのやが、龕薦堂の入り口においでになる六体地蔵さんは、いつも同じお顔をされているのに、西心さんは、悲しそうなお顔の時、怒ったはる時といろいろとありますのや。
「いしのからと」にお入りになって、何年も、何年も経つのに、まだ成仏できずにおられるのかなあ。西心さんのことを忘れずに、供養してあげたら穏やかに成仏されるやろう。
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