小倉連合町内会
令和7年 戦没者慰霊祭
令和7年8月15日(金)9時30分〜10時30分
小倉共同墓地(小倉西山70番地)
本日は小倉連合町内会で戦没者慰霊祭を行いました。
私(野川正克)の父は大正8年生で戦争にも行っております。叔父(父親の弟さん)も戦死しております。
戦後80年となると戦争を体験で語れる方もだんだんと減ってきていると思います。
世界では今なお、戦争が続いております。
戦没者のご冥福をお祈りするとともに戦争の記憶を語りついで行くことが大切だと思います。
本日はご町内から船川喜温様から体験談をお聞きしました。
宇治市立小倉小学校は1873年10月15日に宇治市として4番目に設立したのだが、1941年(昭和16年)4月1日施行され、従来の小学校は国民学校と改称され戦時体制下で教育内容を、国家主義的な方向に転換させました。
民家の軒先にもスローガンが掲げられました。
•ぜいたくは敵だ。
•欲しがりません勝つまでは。
•進め一億火の玉だ。
あかりが外に漏れないよう電球に黒いカバーをしてしのいだり、大阪空襲で空が真っ赤になるのを見た。
戦闘機は戦争が進むにつれて低く飛行するようになり大きく見えるようになった。
玉音放送(天皇陛下の声)の日は朝から静かな一日で正午にあり、それを聞いてほっとしたのを思いだす。
世界的に戦争が絶えないが日本も記憶をつないでいかないといけないということのお手伝いができればとのお話を頂きました。